外国人に囲碁を教える(スタッフS)

囲碁

 今日はSkypeを通して、友人(外国人)に囲碁を教えていました。

といっても、向こうは碁盤も碁石ももっていなければ、こっちは向こうで使われる囲碁用語を知りません。

なので、色々とアノテコノテを使い(自分の碁盤を動画に写したり、野狐をダウンロードさせたり)、アレコレ言葉を言い換えて説明しました。

例えば言葉に関しては、            

・盤→板(!?)

・九路盤→一番小さい板

・地→勢力圏 OR テリトリー

・アタリ→アタリ(あと一手で石が取れるよ、と教えてから)

 あぁ、語彙力……。

 まぁそれはそれでいいとして(いいのかな)、囲碁って一体どういうゲームかは伝えられずじまいでした。

 趙治勲先生の『地と模様を超えるもの』という本の中でもこんな話があります。引用してみましょう。

Amazon.co.jp: 地と模様を超えるもの―趙治勲の囲碁世界: 趙 治勲: 本
Amazon.co.jp: 地と模様を超えるもの―趙治勲の囲碁世界: 趙 治勲: 本

 「あなたは子供のころ、碁をどのようなものとして教えられたか」(中略)

高川格「地を取るゲーム、地が多いほうが勝ちと教わった」

木谷実「相手の石を取るゲームと教わった」

岩本薫「地でもない、石でもない。何かこう、眼を二つもって生きるゲームと教わった」

 わはは、三者三様です。皆さんはどう教わりました?私は一番初め、高川先生と同じ教えを受けました。だから、「石を取る喜び」というのがいまいちピンと来ないんです。

 まぁそれはさておき、友人だけでなく野狐をやっていても、言葉のわからない外国人とでも、同じルールという共有物を通してコミュニケーションができるんです。これってちょっと不思議な感じがしませんか。あ、でも、「言葉」によってコミュニケーションが成立すると平然と信じてる私がおかしいのか。

 でもでも、こうも考えてみたらどうでしょう。たとえば、同じ文化で育った人同士なら、相手の次の行動の予期は異国人よりもより簡明にできそうじゃないですか?

 日本人が日本人に対して、鼻の前で手のひらを横にしてくっつける。「ごめんね!」ってなりませんか?けれど、このジェスチャーは外国人には通じません。やっぱり「同じ文化」を通じて理解してあってますよね。

 まぁ囲碁だけじゃないですよね。ワールドカップ?とかオリンピックでも、サッカーをしろ!野球をしろ!という枠組みを与えてあげれば、ゲームをプレイしますもんね。そかそか。

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