コミュニケートする石たち(スタッフS)

コミュニケートする石たち

私は囲碁を覚えたての頃、副席主に「石は喋っている」と教わりました。私はその意味が、少しずつですがようやく分かってきたような気がします。
私は、特に初対面の人と囲碁を打つとき、非常に緊張します。なぜなら、当然のことですが、相手の方がどう出るか、どういう棋風を持っているか分からないからです。
対局中は基本的にお喋りは禁物です。相手の一手以外に、その人を知る手がかりとなるのは、その表情であったり、しぐさ、ぼやきだけです。


ですので、こちらとしてはとにかくまず一手を打つしかありません。そして、それに対し、相手の一手が打たれます。そうこうしている内に、何となく相手の棋風が見えてきます。(地に辛い人、模様を張る人、力強さ、または穏やかな碁を望む人なのか)そうする内に相手の次の手にいくらかの見通しがたつようになってきます。それにより、勝負時の緊張感こそ消えないものの、相手とのコミニュケーションが成立した、と感じられる時があります。(もちろん、滅茶苦茶な手をこちらが打つと、首を傾げられたりします。それは不成立ですね)


ここで私がいいたいのは、そうしてみると、対局というのは、人と人とがコミニュケートしているのではなく、あたかも石と石がコミニュケーションしている感覚に陥る時があるということです。
先にも述べたように、囲碁をしていると普通、盤面に集中します。そうすると、対戦相手と打ってはいますが、対戦相手の思考は当然、直接には把握できません。できたら、テレパシー、以心伝心ですよね、これではゲームになりません。石に私たちの意志を語らせなければいけません。
ですので、棋譜というのは石らのコミニケーションとコミニケーションが織り成す絡み合い、軌跡なのだなぁ、と思うのです。

ところで、今ふと思い立ったのですが、全知全能の神様同士が囲碁をしたらどうなるのでしょう?
そもそもそんなことはしないのかもしれません。だって、全知全能なのですから。そうなると、ちょっと味もしゃしゃりもない世界に感じますね。
もっとも、人間に想像出来る神様!なんて神様らしくないですよね。だってそれじゃあ凄味に欠けますもの。多分、彼?彼ら?は、私たち人間の想像の外の世界にいるのでしょう。

(スタッフS)

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